青梅の歴史が織り込まれた
美しい「夜具地」に
出会えるカフェ

テーブルマットに姿を変えたむかしの夜具地
「ハコナリ」って、きれいな屋号ですね。
ケンさんがそういうと、
「ハコヤ」と言います。
店主の金子静江さんは、そう正してくださいました。
お店は15年前に開店されたそうです。
店内を見回してみると、きれいで新しそうにも見えますが15年も経っているのですね。
また、この建物の骨格及び基礎的な材料は、近隣の歴史ある建築物を移し再構築されたものだそうです。
いわゆる、移築されたということになるのでしょうか。ご説明いただいているのですが、後日、もうすこし詳しく再確認してみたいと思います。

店内➀

レストルームへの古材の階段

奥の部屋にある扉

屋根とおそらく建物の側壁を支える天井近くにわたされた梁

レストルーム入口

レストルームの窓

レストルームのシンク
美しいと形容する、その範疇を超えた個性あるこのようなお店を、どのような人が創るのでしょう?
ヒントは、『cafe ころん』さんのお店にある資料に求めることができます。
そこにはこのように記されていますので、一部を転記してみます。
「この街を歩くと荒井マッキーさんの作品にあちこちで出会うことができます。~中略~ ガチャまん商会。住江町の駐車場にたたずむ電話BOX。その先のはこ哉。~以降略~」
荒井マッキーさんという方が手掛けたお店なのですね。
隅々に配慮され行き届いた細かな神経。センスが良い、という範疇を超えたアート作品といえるのではないでしょうか。『はこ哉』さんはカフェのほか、ギャラリーにもなっています。
ブレンドをおねがいしました。

はこ哉ブレンド
コーヒーカップの下に、不思議な色の織物が敷かれています。
むかし、この青梅で生産され織られた夜具地がテーブルマットにすがたを変えて蘇っているのです、と金子さんは説明されています。
カウンターの下に、おなじ色調の異なった柄の織物が積み重ねてあるのが見えます。
店主の金子静江さんは、
この「青梅夜具地」のご本を出版されていますので、一部を紹介させていただきます。
『元恵叔母さんの青梅夜具地』

『元恵叔母さんの青梅夜具地』表紙

緑がとても鮮やかです(本文より)
「汗をかいたり、おねしょをしたり 毎日使う布団は度々作り直されます」
このページの文頭にこのように書かれています。
布団はたびたびほどかれて再生しなおされていたのですね。
布団としての役目を終えた、その一部がいま、わたしのテーブルの上に置かれています。
赤ちゃんや子どもたちがこの上で、この下で、汗をかいたり、おねしょをしたりしていたのです。
そのやわらかな表面をそっと指の先でなぞってみると、子どもたちの体温が伝わってくるようで頬ずりしたくなってきます。

写真提供:並木幾三郎 大正12年の並木織物工場内(本文より)
このページの左ページには以下のように記されています。
青梅の織物の歴史は室町時代からともいわれ、万葉集などの古い文献にも度々登場します。
1907年(明治40年) 青梅にも力織機が導入される。
1950年(昭和25年)頃 ガチャ満景気となり、青梅夜具地の生産が全国の約80%を占める。
このデータは、織物が青梅の経済を支える主要な産業の一つであったことを裏付けていると思われます。
最盛期にはこの地に800件もの機織り工場が存在していたそうです。

鮮やかな朱色(本文より)

めずらしい模様(本文より)

奥付
奥付上の後記には、
「12年前に、友人から手元に届いた青梅模様夜具地に魅せられ、改めて夜具地を見つめ、大切にしてゆきたいと思いました。
今回は、物を大切にした時代を生きた『元恵叔母さんの青梅夜具地』を友人の力を借りて作成しました。
内容や文字等間違いもあるかと思いますが、ご理解いただけたら幸いです。」
と記されています。

テーブルマットに再生された夜具地
時間、時代、ヒト、との共同作業でつくりあげられた世界。
あの時代にタイムスリップしなければ二度と作ることはできないでしょう。
バルビゾン派や印象派の作家たちが生み出した作品が二度と作成できないのと同じように・・・。
だから、現代に生きる人はこのような時間の折り込まれたオブジェに惹かれるのだと思います。

陽が落ちようとしています
赤ちゃんが母親の胎内にいるときって
きっとこんな感覚なのかもしれません。
また長居してしまいました。
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